2010年04月24日
3Dでなくても面白い『第9地区』レビュー
『第9地区』
製作年 2009( アメリカ)111分
カテゴリー:SF
原題: District 9
製作: キャロライン・カニンガム、ピーター・ジャクソン
監督:ニール・ブロムカンプ
キャスト:シャルト・コプリー、デビッド・ジェームズ、ジェイソン・コープ、バネッサ・ハイウッド
レビュー( ★★★★☆)
ジョン・レノンは、国なんてなくなるのを想像してごらんと歌ったが、人類が次のステージにシフトしたらそれも可能になるだろう。
次のステージとは、テクノロジーの発達と新しい概念を手に入れた時だ。
たとえば、今から高々150年程前の一般的な人間の行動範囲は、半径数十Kmのエリアで一生を終えたという。
日本も400年前の戦国時代は、今の県ほどの領土が"国"で、それぞれの国同士が、他の国を攻めたり守ったり、殺し合いをしていたわけだ。
今の価値観で考えたら、そんな狭いエリアを命がけで、取っただの、取られただの、やってた訳だ。
それが、やがて日本は一つの国になって、今度は外国と戦争を始めた。
ジョン・レノンは『国なんて、ちっちゃいこと言ってんじゃねーよ』と歌ってたかどうかは、別として、たとえば、ドラエモン(≡ ̄♀ ̄≡)の”どこでもドア”が発明されたとしよう。
今まで遠くの異国がドアを開るだけで、隣町に行くみたいに気軽に行き来ができるようになれば、かつて日本にいくつもあった国がなくなったみたいに、国なんて概念はなくなるかもしれないと、オイラは思うわけだ。
”どこでもドア”は無理でも、日本からLAまで、1時間で行ける宇宙航空機とかなら可能かもしれないが、テクノロジーだけでは、新しい価値観や概念を手に入れることは無理かもしれない。そもそも人間は頑固で、不寛容だから
もし、それができるとしたら、宇宙人が地球にやって来た時に、あらゆる価値観が変わり、人類は初めて○○国人ではなく、地球人としての新しい概念を手に入れる事ができるかもしれない。
前置きが長くなったが、『第9地区』は宇宙人が巨大な宇宙船で現れて、28年後の南アフリカのヨハネスブルグが舞台の映画だ。
では、映画の中の人類達は地球人として、新しい価値感や概念を手に入れることができたのか?
答えはNO
と言うか、もっとひどい状況だ。
地球人達は、宇宙船が故障して餓死寸前だった宇宙人たちを難民として、第9地区と呼ばれるスラム街に強制移住させている。
宇宙人の姿は、地球人の価値観からすれば、不気味で、人間たちは彼らを"エビ"という蔑称で呼んで蔑んでいる。
舞台が南アフリカだけに『第9地区』が、かつて南アフリカの白人たちが行っていた人種隔離政策アパルトヘイトのメタファーということに直ぐに気がつく。
遥か遠い惑星から巨大な宇宙船に乗ってやって来るほどの、高度な科学力を持った異星人を、人間達はその姿形だけで蔑んでいて、彼らを保護している政府も偽善的だ。
人間たちが浅はかな生物なのは明白なのだが、宇宙人の姿があまりにも我々とかけ離れている為、映画を見ている観客も初めのうち、その"浅はかさ"に共感しながら観ているが、主人公ヴィカスが宇宙人と共に戦う様を観ているうちに、異星人と地球人の友情とまでは言わないが、全く異質の生命体同士の「魂の共感」に、人間たちの"浅はかさ"に気がつくという、実にうまいプロットになっている。
だが、この映画は、そんな小難しいことを言っているわけではなくて、映画の前半は、宇宙人が酒に酔ってゲロを吐いたり、立ちションをしていたり、主人公の小役人ヴィカスが宇宙人相手に、第10地区に移設させる形ばかりの書類に、大真面目にサインさせるようなお役所仕事がバカバカしく、偽善的で不寛容な人間社会をうまく皮肉っていて面白い。
ストーリーも、スピーディーでテンポもよくて
特に宇宙人の作った武器がスゴくて、人間が木っ端みじんになってしまう。
ただ、この映画はPG12(parental guidance12:12歳以下の鑑賞は親の判断で同伴が必要)だが、子供向けSFと思って子供を連れて行く親がいそうで怖いね
まあ、とにかく、キャストも無名で、監督も無名の新人というのに、一癖も二癖もあるこのエイリアン物のSF映画は、2Dでも『アバター』より面白い
12歳以下のこども以外に、おすすめ!!
製作年 2009( アメリカ)111分
カテゴリー:SF
原題: District 9
製作: キャロライン・カニンガム、ピーター・ジャクソン
監督:ニール・ブロムカンプ
キャスト:シャルト・コプリー、デビッド・ジェームズ、ジェイソン・コープ、バネッサ・ハイウッド
レビュー( ★★★★☆)
ジョン・レノンは、国なんてなくなるのを想像してごらんと歌ったが、人類が次のステージにシフトしたらそれも可能になるだろう。
次のステージとは、テクノロジーの発達と新しい概念を手に入れた時だ。
たとえば、今から高々150年程前の一般的な人間の行動範囲は、半径数十Kmのエリアで一生を終えたという。
日本も400年前の戦国時代は、今の県ほどの領土が"国"で、それぞれの国同士が、他の国を攻めたり守ったり、殺し合いをしていたわけだ。
今の価値観で考えたら、そんな狭いエリアを命がけで、取っただの、取られただの、やってた訳だ。
それが、やがて日本は一つの国になって、今度は外国と戦争を始めた。
ジョン・レノンは『国なんて、ちっちゃいこと言ってんじゃねーよ』と歌ってたかどうかは、別として、たとえば、ドラエモン(≡ ̄♀ ̄≡)の”どこでもドア”が発明されたとしよう。
今まで遠くの異国がドアを開るだけで、隣町に行くみたいに気軽に行き来ができるようになれば、かつて日本にいくつもあった国がなくなったみたいに、国なんて概念はなくなるかもしれないと、オイラは思うわけだ。
”どこでもドア”は無理でも、日本からLAまで、1時間で行ける宇宙航空機とかなら可能かもしれないが、テクノロジーだけでは、新しい価値観や概念を手に入れることは無理かもしれない。そもそも人間は頑固で、不寛容だから
もし、それができるとしたら、宇宙人が地球にやって来た時に、あらゆる価値観が変わり、人類は初めて○○国人ではなく、地球人としての新しい概念を手に入れる事ができるかもしれない。
前置きが長くなったが、『第9地区』は宇宙人が巨大な宇宙船で現れて、28年後の南アフリカのヨハネスブルグが舞台の映画だ。
では、映画の中の人類達は地球人として、新しい価値感や概念を手に入れることができたのか?
答えはNO
と言うか、もっとひどい状況だ。
地球人達は、宇宙船が故障して餓死寸前だった宇宙人たちを難民として、第9地区と呼ばれるスラム街に強制移住させている。
宇宙人の姿は、地球人の価値観からすれば、不気味で、人間たちは彼らを"エビ"という蔑称で呼んで蔑んでいる。
舞台が南アフリカだけに『第9地区』が、かつて南アフリカの白人たちが行っていた人種隔離政策アパルトヘイトのメタファーということに直ぐに気がつく。
遥か遠い惑星から巨大な宇宙船に乗ってやって来るほどの、高度な科学力を持った異星人を、人間達はその姿形だけで蔑んでいて、彼らを保護している政府も偽善的だ。
人間たちが浅はかな生物なのは明白なのだが、宇宙人の姿があまりにも我々とかけ離れている為、映画を見ている観客も初めのうち、その"浅はかさ"に共感しながら観ているが、主人公ヴィカスが宇宙人と共に戦う様を観ているうちに、異星人と地球人の友情とまでは言わないが、全く異質の生命体同士の「魂の共感」に、人間たちの"浅はかさ"に気がつくという、実にうまいプロットになっている。
だが、この映画は、そんな小難しいことを言っているわけではなくて、映画の前半は、宇宙人が酒に酔ってゲロを吐いたり、立ちションをしていたり、主人公の小役人ヴィカスが宇宙人相手に、第10地区に移設させる形ばかりの書類に、大真面目にサインさせるようなお役所仕事がバカバカしく、偽善的で不寛容な人間社会をうまく皮肉っていて面白い。
ストーリーも、スピーディーでテンポもよくて
特に宇宙人の作った武器がスゴくて、人間が木っ端みじんになってしまう。
ただ、この映画はPG12(parental guidance12:12歳以下の鑑賞は親の判断で同伴が必要)だが、子供向けSFと思って子供を連れて行く親がいそうで怖いね
まあ、とにかく、キャストも無名で、監督も無名の新人というのに、一癖も二癖もあるこのエイリアン物のSF映画は、2Dでも『アバター』より面白い
12歳以下のこども以外に、おすすめ!!
Posted by アイスH at 03:03
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