2010年08月29日

DVDレビュー『戦場でワルツを』

『戦場でワルツを』
原題: WALTZ WITH BASHIR
製作国: 2008年イスラエル/フランス/ドイツ/アメリカ
カテゴリー:アニメーション、
上映時間: 90分
監督、脚本、製作:アリ・フォルマン

アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされたが、「おくりびと」にオスカーを持って行かれた『戦場でワルツを』DVDで観た。

「おくりびと」は映画館で観たが、『戦場でワルツを』は単館上映だったため、時間がなくて見逃していた。

DVDで観たら、「おくりびと」なんか観ている場合じゃなかったあっ!!( ̄□ ̄;!!って言うくらいヤバい!

「おくりびと」にオスカーを渡すとは、米アカデミー賞会員の目は節穴だぜ( ´⊿`)y-~~



1982年、レバノン侵攻したイスラエル軍による、パレスチナ人の難民キャンプ、サブラとシャティーラで大虐殺が起きる。

犠牲者が3000人を超えるともいわれる「サブラ・シャティーラの虐殺」だ。

『戦場でワルツを』は、イスラエル人のアリ・フォルマン監督が、実体験に基づき、イスラエル軍によるレバノン侵攻を描いたアニメーションである。

物語は、1982年、当時19歳のアリ・フォルマンはイスラエル軍の兵士だった。

それから、24年後のバーの片隅で、アリは彼の戦友から、いまだに戦争の悪夢に悩まされると打ち明けられ、『レバノンの事を思うことはあるか?』と聞かれる。

アリは、当時、大虐殺が行われた場所のすぐ近くで任務に就いていたからだ。

しかし、アリは今まで、当時の戦争のことを一度も考えたことすらなく、そればかりか戦争の記憶が欠落していることに気がつく。

なぜ、自分には、戦争の記憶が無いのか?

アリはその夜、奇妙な夢を見る。

夜の海岸線に立ち並ぶビル群が照明弾に、映し出されるのを全裸で海に浸かりながら見ている自分と戦友。

サブラ・シャティーラで何が起きたのか?

消し去った記憶とは?

真実を求める旅が始まる。

この映画は、アニメーションでありながら、ドキュメンタリー映画でもある。

ドキュメンタリーというのは、アリが記憶を辿る過程で戦友やジャーナリストの証言や、自分自身の記憶のフラッシュバックで、戦場における不条理や、戦争の酷さが明確になり、そして、それは彼らが実際に体験し目撃したことだからだ。

果たしてアニメーションで、彼らが体験した戦場のリアルさを表現できるかというと、映像的には独特なタッチで、時にはシュールで幻想的であり、時にはリアルな臨場感がある映像は、見るシーンにより全く違った機能をし、しかもそれらは非常に芸術性が高い。

確かに戦場における生々しさや、恐怖感みたいなものは、足りないような気がするが、『プライベート・ライアン』みたいにバラバラに引きちぎられる兵士のCGみたなものがあれば表現できるのもでもない。

むしろアリや彼の戦友達が体験したリアルな現実の方が、どこか間が抜けてシュールでさえもあるし、そんなストーリーに独特な映像がマッチしている。

例えば、自分の記憶を辿るうちに、彼はこんな情景を想い出す。

戦時中、戦車部隊の指揮官であったアリは、上官からある所から戦死した兵士の遺体を回収する任務を命じられる。

『その遺体を、何処に運ぶのか?』と上官に質問すると、『そんなことを俺に聞くな。』と鼻で笑われる。

アリ乗った戦車は、夜の闇の中を、機関銃を連射しながら、"どこかに解らない明るい所"に向けて疾走している。

しかし、誰に向けて機関銃を撃っているのかは、解らない。

機関銃を撃っているアリの足下には回収した遺体が無造作に横たわっている。

戦車は、やがて"どこかに解らない明るい所"(前線基地)に到着し、遺体を下ろす。

死体袋に入れられた、兵士たちの遺体幾つも並べられている。

なにか夢でみた光景のようにシュールで奇妙なシーンだ。しかし、リアルである。

なぜなら、実際の一兵士から見た戦場の光景は、映画のように起承転結のドラマなどはなく、断片的で部分的な事実しかなない。

なぜ、そんなことが起きたのか、その場にいた者は知る由もない。ただ、事実だけがある。

それを実写で映像化するよりも、アニメーションという表現方法がより、的確にこの映画にマッチしていると思うし、今までのドキュメンタリーや、実写の戦争映画では、表現しきれなかった領域まで踏み込むようなポテンシャルをこの映画は持っている。

傑作ではあるが、この映画にはそんな軽い言葉などは何の意味も持たないほど、この映画のラストの真実は重い。

平和ボケで、人が死んで悲しい映画とか、「おくりびと」に泣けたとか、バカみたいな安っぽいこと言ってないで、真実を直視せよ!!

今も世界のどこかで、罪もない子供たちが殺されている。無関心が一番最悪だ。



  

Posted by アイスH at 13:00DVDレビュー

2010年08月14日

『トイ・ストーリー3』3D 日本語吹き替え版レビュー

『トイ・ストーリー3』
原題: Toy Story 3
製作国: 2010年アメリカ映画
カテゴリー:アニメーション、
上映時間: 103分
監督:リー・アンクリッチ
上映方式: 2D/3D
声のキャスト(吹き替え版):
唐沢寿明、所ジョージ、小野賢章、小宮和枝、きゃさりん、日下由美、辻萬長、三ツ矢雄二、大塚周夫、永井一郎、松金よね子、他

レビュー(☆☆☆☆☆)

”モノには魂が宿る”とオイラは思う。

誰か大切な人からプレゼントされたモノには、思い出とか、想いが宿っている。

子供の頃に、大切にしていたオモチャだってそうだ。

息子が3、4歳の頃、彼は毎晩、枕元に並べて大切なオモチャたちと眠っていた。



だいぶ前の話だが、新聞の投書欄にそんなエピソードの投書を読んだ。

投書したのは、小学校低学年の兄弟の母親で、長年乗っていた車が古くなったので、新車を買い替える時の話だった。

新車が来る朝、幼い兄弟たちは、古い車(たしかマーチ)にしがみついて、泣きながら別れを惜しんだという。

そのマーチは、彼らが生まれた時から、彼らと一緒に行動していた仲間の様なものだったのかもしれない。

その投稿を読んだ当時、車の開発に携わっていたいたオイラは、

『オイラが作っているのは、ただのモノでははいのだ』となんだかジーン…(〃´-`〃)ときてしまった。

その投書を読んでから数ヶ月後に、その後日談というか、たぶん別の話なのだろうが、新聞の投書欄にこんな話が載っていた。

ある中古車を買った女性が、車の掃除をしていた時に車のバックシートの隙間から手紙を見つけて、新聞に投書した。

その手紙は、幼い字で、マーチと一緒にいろんな所に行った思い出や、感謝のことばが綴られていて、

「別れるのは辛いけど、次に乗る人に大切にしてもらってね」というようなことが書いてあった。

その新しいマーチのオーナーは、彼らの為にも大切に乗ろうと思ったと書いてあった。

たぶん前の兄弟の話とは、関係のない話かもしれないが、オイラは

『なんて、せつなくて、いい話なんだ。。(┯_┯) ウルウル…』と思った。



『トイ・ストーリー3』もそんな切ない別れの話だ。

『トイ・ストーリー3』は、2D版、3D 版の両方あるが、子供が3Dで観たいというので、日本語吹き替え版をMOVIX橋本で観た。

正直オイラは、3Dが苦手だ。(;´Д`)メガネの上から、3Dメガネを掛けると、その重みで眉間のあたりがムズムズしてくる。

しかし、MOVIX橋本の3Dメガネは進化していた┗@-@┛

3Dメガネには、ヒモとストッパーが付いていて、頭の大きさに合わせて、ストッパーでヒモを留める仕組みになっていて、

オイラのメガネの上から掛けても疲れないし、眉間のあたりがムズムズもなくグー(・∀・)b




1作目の『トイ・ストーリー』は、フルCGアニメの先駆けとなった作品で、名作である。

『トイ・ストーリー3』は、それから10年後の話で、オモチャたちの持ち主であるアンディは17歳になっていて、

おもちゃと遊ぶことは、もう、しなくなっていて、もうすぐ大学に進学しようとしている。

アンディは大学に入学で引っ越すため、お気に入りだったカウボーイ人形のウッディだけを持っていき、

バズをはじめとする他のおもちゃたちを屋根裏にしまうことを決めるが、手違いから、他のオモチャたちは、

ゴミ収集車に乗せられそうになったあげく、託児所「サニーサイド」に寄付されてしまう。

しかし、その託児所は、オモチャたちにとっては、地獄のような場所だった。

ウッディは、仲間たちを救うべく、行動するが。。。。。


2作目から11年たったこの続編は、脚本も緻密に練られていて、映画のテーマにブレがなく、ムダなシーンなど

1カットもないほどの完成度だ。

ビジュアル的にも、あえて最新技術を抑え、旧シリーズと同じ質感に仕上げたというが、3Dで観るとあまりにも

計算つくされたオモチャたちの視点(世界)に入り込んでしまった。

あと、ニューキャラのケンが笑える。特にクラブではなく、ディスコと言われていた時代の人は爆笑ものだ。

もし、『トイ・ストーリー』『トイ・ストーリー2』を観ていないなら、DVDでチェックをおすすめする。

前作を観た方が、三つ目の宇宙人たちの『神さま〜』の意味が判って、なお爆笑ものだから。(´∇`)

子供向けアニメなどと侮ってはいけないface15

ワクワク、ドキドキ、ハラハラの冒険と、何があっても前向きに行動する勇気と、最期の切ない別れに、

子供よりも大人の方が心を揺すぶられるだろう。

まぎれもなく傑作である。












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Posted by アイスH at 12:00☆☆☆☆☆レビュー

2010年08月13日

アンジェリーナ・ジョリー主演の『ソルト』レビュー

『ソルト』
原題: Salt
製作国: 2010年アメリカ映画
カテゴリー:スパイ・アクション、サスペンス
上映時間: 105分
監督・フィリップ・ノイス
キャスト:
アンジェリーナ・ジョリー、リーブ・シュレイバー、キウェテル・イジョフォー、ダニエル・オルブリフスキー、
アンドレ・ブラウアー、アウグスト・ディール

レビュー(☆☆☆)

スパイ・アクション傑作と言えば、マッド・デイモンのボーン シリーズが記憶に新しいが、アンジェリーナ・ジョリー主演の

スパイ・アクション『ソルト』の劇場予告を観て、ボーンシリーズのようなリアリティーのあるアクション映画を期待していた。

映画の冒頭でスパイの疑いをかけられたCIAエージェントのソルトが、清掃用の薬品やテーブルの脚などでその場で即席爆弾を作り、
警戒が厳重なビルから脱出して逃亡する展開は、ボーンシリーズのようで面白し、アクションも中々(・∀・)イイ!!

しかし、脚本が弱い(ーー;)

ネタバレになるので、あまり詳しくは書けないが、ストーリーの中盤までは、ソルトの行動原理を、彼女の全てを受け入れた夫との
エピーソードをフラッシュバックで見せているが、物語が進むにつれ、彼女の行動原理が何なのか、不可解な気分になってしまう。

説明はしているが、解せない。映画の核となる部分が弱いのだ(+_+)

アクションやストーリー展開も、前半までは良かったが、後半はちょっと強引過ぎる展開ヾ(-_-*) オイオイ。

しかし、そんな諸々を差し引いても、アンジーの美し過ぎるスパイアクションは一見の価値がある(・∀・)b



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Posted by アイスH at 19:14映画レビュー

2010年08月07日

『インセプション』刺激的でスタイリッシュな映像をレビュー

『インセプション』
原題: Inception
製作国: 2010年アメリカ映画
カテゴリー:SF、アクション
上映時間: 148分
監督・脚本: クリストファー・ノーラン
キャスト:
レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙、ジョセフ・ゴードン=レビット、マリオン・コティヤール、エレン・ペイジ、
トム・ハーディ、ディリープ・ラオ、キリアン・マーフィ、トム・ベレンジャー、マイケル・ケイン、

レビュー(★★★★★)

オイラがまだ、学生の頃の話。

オイラは、悩んでいた。具体的にはどんな悩みかはスッカリ忘れてしまった(たぶん好きな女の子の事とか

授業をサボってばかりいて単位が足りないとか、その程度のこと。(;´д`)トホホ…)

が、その当時のオイラは、そのちんけな悩みに打ちのめされて参っていた。

そんなある日、とてつもなく最悪な事が起こる。

自分ではどうすることもできないような、巨大な力で流されているようなそんな感じ_| ̄|○

若かりし頃のオイラは思った。

『これが夢ならいいのに。。。。』と同時に、『この苦しい現実は夢ではないか』と疑念が生まれた。

そして、オイラは気がついた!オイラがもがき苦しんでいた世界は、オイラの夢だった。

なんだ、ただの夢じゃん!!( ̄□ ̄;!! と、オイラは、夢の中で、自由自在にやりたい放題する

が、

夢なので目が覚める。

と、

いつもと変わらない現実。退屈な日常と、相変わらず問題を抱えて悩んでいる自分。

『これが夢ならいいのに。。。』と自分をつねってみたら痛かった(;´Д`)

鬱々とした生活が続く。

ある日、とてつもなく最悪な事が起こる。自分ではどうすることもできないような、巨大な力で流されているよう。。。。。。

で、目が覚めた( ゚д゚ )!『全部夢だったのか。。。でも、本当に目覚めたのか?????』

と自分をつねってみたら痛かった。しかし、まだ、自分が夢の中にいる気がした。。。。。。

というような事を、『インセプション』を観て想い出した。(実話)



『ダークナイト』の気鋭の映像作家、クリストファー・ノーラン監督がオリジナル脚本の『インセプション』を一言で言うなら、

「複雑なストーリー展開、スタイリッシュな映像を駆使し、クリストファー・ノーラン監督は、刺激的で独創的な世界感と

娯楽性が融合する映画の構築に成功した。」

(全然、一言で言ってないヾ( ̄o ̄;)オイオイ)何となく、こんな まどろこしい文章を書きたくなった(^_^ゞ)

つまり、傑作である。



ストーリーは、他人の夢の世界にまで入り込み、アイデアを盗むこと生業としているコブ(レオナルド・ディカプリオ)が

大実業家・サイトー(渡辺謙)から、ライバル企業の次期社長の潜在意識に入り込み、”ある考え”を植えつける難易度の高い

“インセプション”の依頼を受ける。

成功した暁には、妻殺しの容疑で、国際指名手配中のコブがアメリカに戻れることを条件に、コブは、スペシャリストの仲間を集め、

ターゲットの夢の中の世界に入り込む。

というものだが、人の潜在意識下の世界や、夢の中の夢で夢を見ている自分とか、ボ〜〜( ̄。 ̄)〜〜ッと見ていると、

観客自身もどの世界にいるのか解らなくなってしまうような、刺激的な脚本だ。

オイラが言う、”刺激的な脚本”とは、”客に媚を売っていない(不親切な)”ストーリーテリングのことだ。

ある独創的な世界感というものは、提示することは可能だが、なぜ?どうして?など理由を説明することは、できないからだ。

それを、”客に媚を売って親切に説明”してしまうと、野暮で退屈な話になってしまう(+_+)

一度見ただけでは、クリストファー・ノーラン監督が作り出した”刺激的で独創的な世界感”全体を捉えることはできない。

ただし、映画は観念的ではなく、複雑な構成と、娯楽性が融合した独自な世界感で、148分を一気に見れてしまう。

映画『マトリックス』と似ていて非なる所は、『マトリックス』がコンピューターが作り出した仮想現実だが、

コブたちは、人の潜在意識の中に、自分たちのイマジネーションで街の風景だったり、登場人物だったりを自由に作り出すことができる。

つまり、夢の世界では、彼らは創造主なのだが、決して神のように全知全能ではない。

自分自身の潜在的な希望や欲望が、夢の中に反映され、翻弄されてしまう。



人は想像の中では、あらゆる事が可能だ。

数百光年彼方の惑星に行く事も出来れば、自分の思い描く理想郷(ユートピア)を創り出す事もできる。

実際に、コブと彼の妻モルは、彼らだけのユートピアを築き、そこで年老いた。

ただし、現実の世界の時間はたった、数時間の夢の中の出来事でしかない。

コブと彼の妻モルが、彼らが創造したユートピアで数十年過ごした後、現実に戻った時のモルの絶望感、あるいは

喪失感のようなものを、ほんの一端だが、かつて学生時代に夢の中の自分が観ていた夢の中の夢から覚めた時に、オイラは体感した。

夢のまた夢のなかで、それが夢である事を気がついた時、オイラは創造主だったからだ。



もし、あなたが夢から目覚めた時、頬をつねって痛くとも、その世界が現実だとは限らない。
まだ、夢の中にいる可能性がある。。。。。
などと書いたブログを、あなたの夢の中のあなたが読んでいるのかも知れませんよface15

この映画のラストもそのような投げ掛けで終わる。そこがいい。

お奨めの一本!!(現実の世界で)





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Posted by アイスH at 22:35☆☆☆☆☆レビュー