2010年03月31日

『人間失格』レビュー

『人間失格』
製作年 2010(日本)134分
カテゴリー:ドラマ
監督:荒戸源次郎
キャスト: 生田斗真 、 伊勢谷友介 、 寺島しのぶ 、 石原さとみ 、 小池栄子
レビュー(☆)

結論から言うと映画『人間失格』は久しぶりに観たダメ映画だった。
過剰な自意識とナルシシズムの内省的な告白の物語である太宰治の『人間失格』をどんなふうに映画化するのだろうかという期待もあったが、主人公の葉蔵にモノローグで語らせるのではなく、映像で表現しようという心意気は認めるが、演出も脚本も役者もすべて空回りして、なにひとつ物語の本質まで届かず、底の浅い話が延々と続く駄作だった(-_-メ)

何がダメかと言うと、例えばカフェの薄幸のカフェの女と入水心中をするクダリは、なぜ、死にたいのか表現されていなく、葉蔵がなぜ『人間失格』の道を歩まざるを得なかったのか理解できない。

大分前に、太宰原作で浅野忠信、松たか子主演の『ヴィヨンの妻』を観たが、こちらの方はちゃんと浅野忠信にセリフで、「僕は世の中や人間が怖くてしかながない」と言わせていて、なぜ主人公が厭世的な生き方しかできなのか納得できる。

しかし、『人間失格』には、人間失格になる要因が一切語られておらず、それをあえてしないのかどうかは知らないが、葉蔵の絶望感が全く伝わって来ない。
葉蔵は、恐ろしくてしかたがないんだ。まず、それを語らずに(表現せずに)『人間失格』を描けるはずはないとオイラは思う。

あと、職業婦人の子持ちの未亡人の家に葉蔵が転がり込んで、子供に「本当のお父ちゃんじゃないし。。」的なことを言われて絶望して失踪するシーンは、どうしようもないくらい演出ができていない。あれでは、観客は意味が判らないよ。

あのシーンは原作でも、葉蔵が自分自身を善良な未亡人親子とりつく邪悪な人間と蔑んで絶望するというとても重要な箇所なのに、単に家を出て酒を飲んでいるシーンになっていて、呆れるのを通り越して腹が立ったぜ(`Д´)
脚本家も、監督もちゃんと原作を読んだのかicon08って言いたくなる。

その他にも、薬屋の未亡人に麻薬を無心するシーンとか、奈落に落ちて行く人間の感情をむき出しにしなければいけないシーンも、ただ単に原作の話をなぞっただけの陳腐な演出だったし、何よりもダメなのは、中原中也が出て来るところが最悪だ。
一体何をしたいの?
中原中也なんて、太宰の『人間失格』には、全然関係ないじゃんface04

主演の生田くんは、ちょっと頑張ってたみたいだけど、底の浅い脚本と洞察力のない演出では、彼がいくら頑張ってみたところで、ちっとも『人間失格』には見えないよface07

まあ、それほど映画化するのが難しい原作だから、今まで誰も映画かしなかったのかも知れないけどねface15



  

Posted by アイスH at 03:24☆レビュー

2010年03月27日

『渇き』レビュー

『渇き』
製作年 2009(韓国)133分
カテゴリー:ファンタジー
監督:パク・チャヌク
キャスト:ソン・ガンホ、キム・オクビン、シン・ハギュン、キム・ヘスク、パク・イヌァン
レビュー(☆☆☆☆☆)

『オールドボーイ』の鬼才パク・チャヌク監督による異色ヴァンパイア映画『渇き』を観た。
 この映画は情念の映画である。ヴァンパイア映画でありながら、根底にあるのは、男と女がお互いの欲望の渇きを癒すためにエゴイスティックに相手を求める、ヒリヒリとした感情だ。吸血鬼はただの仕掛けであって、パク・チャヌク監督が描きたかった本質は、“情念”だったように思える。ゴシックホラーという仕掛けにより、“情念”をより鮮明にすることができたとオイラは思う。


 果たして今の日本映画界に、ゴシックホラーやファンタジーでありながら、男と女の情念みたいなものを撮れる監督はいるのだろう?
日本映画界と韓国映画界を比べても、何の意味もないと思うが、こういった決してハリウッド映画のようなビッグバジェット映画では表現しきれない種類の韓国映画を観る度に、もうすっかり日本映画が手の届かない領域に韓国映画界が進化したように思えて仕方ない。
かつての日本映画では存在したのに。。。face06
 
 お子ちゃま映画が蔓延り、作家性のある監督の企画が通らないのかも知れないが、韓国映画界の懐の深い映画を見るたびに、日本映画に危機感を持ってしまう。

 まあ、とにかく第62回カンヌ国際映画祭で審査員賞受賞のお勧めの一本。  

Posted by アイスH at 17:02☆☆☆☆☆レビュー

2010年03月27日

『抱擁のかけら』レビュー

製作年 2010( スペイン)128分
カテゴリー:ドラマ
監督: ペドロ・アルモドバル
キャスト:ペネロペ・クルス、ルイス・オマール、ブランカ・ポルティージョ、ホセ・ルイス・ゴメス、ルーベン・オカンディアノ
レビュー(☆☆☆)

スペインの巨匠ペドロ・アルモドバルの『抱擁のかけら』を観た。
ストーリーは、かつて映画監督だった盲目の男(ルイス・オマール)は、過去も本名も捨てハリー・ケインと名乗り、映画の脚本ライターをしている。

ある日、謎の男が彼を訪ねてきたことにより、彼がなぜ光を失ったのか?、なぜ本名を捨てたのか?を、14年前の映画撮影現場で彼が愛をささげたレナ(ペネロペ・クルス)との愛の物語を中心にその謎が語られるといった内容だ。

 ひとりの美しい女の為に破滅してしまう『赤い航路』や『ダメージ』のような話を期待していた分、ストーリー的にはちょっと陳腐な話で期待はずれだったが、男の過去が徐々に明かされる展開は実にうまい。
しかし、くどい。無駄に長すぎる。レナを主演に撮った映画のシーンは、何の意味もない長いシーンが延々と続いてウンザリしてしまった。

 意味があるとすれば、劇中劇の中のペネロペ・クルスは、オードリー・ヘップバーンのように清楚で”美し過ぎる”点だけだろう。
 最近、大して美人でもないのに、”美しすぎる”市議会議員とか、”美しすぎる”女子プロゴルファーとかマスコミがやたら言っているが、”美しすぎる”
と言っていいのは、この映画にでてくるペネロペ・クルスみたいな、「この女のためなら、どうなってもいい」と思わせる女だけだ。
 ”美しすぎる”市議会議員も、”美しすぎる”女子プロゴルファーも”その業界の中でちょっとだけ美人”と言ってもらいたいものだ。  

Posted by アイスH at 00:48映画レビュー

2010年03月27日

『恋するベーカリー』レビュー

『恋するベーカリー』
製作年 2009( アメリカ)120分
カテゴリー:ハートフル・ラブコメディー
監督:ナンシー・マイヤーズ
キャスト:メリル・ストリープ、アレック・ボールドウィン、スティーヴ・マーティン
レビュー(☆☆)

メリル・ストリープ主演の『恋するベーカリー』を観た。
メリル・ストリープ演じるジェーンは10年前に離婚して3人の子供を育て上げ、充実したシングルライフを送っている、人気ベーカリーを経営する実業家で邦題は『恋するベーカリー』とちょっと馬鹿みたいなタイトルがついていてベーカリーが舞台のラブコメディーかと思っていたら、ベーカリーはあまり関係ない。

ストーリーは、離婚した元の夫と偶然の再会によりベットインしたことにより新たな関係性ができ(元の夫は新しい家族を持っているので不倫関係)、しかも新しい恋人との微妙な三角関係がコミカルに描かれている。

 ジェーンの設定は、メリル・ストリープの実年齢の50歳台の社会的に成功した富裕層の女性で、ジェーンが友人の熟女たちと繰り広げるガールズトークは微笑ましく楽しいが、これを言ったら実も蓋もないが、まあどうでもいいような他愛無い話ではある。

 しかし、演技派女優メリル・ストリープを中心に、実に身勝手だけど憎めない元夫のジェイクを演じるアレック・ボールドウィンと、実直で傷つきやすいアダムを好演するスティーブ・マーティンの三人のベテラン俳優陣の演技が、ストーリーに厚みを持たせていて、ハートフルな味付けの大人のラブコメディーに仕上がっている。  

Posted by アイスH at 00:38映画レビュー

2010年03月24日

『ラブリーボーン』 レビュー

『ラブリーボーン』
製作年 2009(アメリカ=イギリス=ニュージーランド)135分
カテゴリー:ファンタジー
監督:ピーター・ジャクソン
キャスト:マーク・ウォールバーグ、レイチェル・ワイズ、スーザン・サランド、スタンリー・トゥッチ、マイケル・インペリオリ、シアーシャ・ローナン
レビュー(☆☆☆)

最近友人のKが急死した。正確には急死していた。

ある夜、彼の弟から電話があった。
『兄が先月の末に病死しました。葬儀は身内だけで密葬しました』と。。。
突然の知らせに、言葉もなかった。ちょっと前にメールのやり取りをしていたのに。

友人のKは、生涯独身で、ネコと競馬と映画を愛する自由人だった。
Kと会うと必ず、挨拶代わりに「あの映画観た?」とお互いに最近みた映画の感想を語りあった。
(松田優作の”探偵物語”の探偵と骨董屋のように。。。)

葬式にも出ていないので、Kが死んだ実感はない。
Kももっと生きたかったろうが、充分に生きたと思いたい。

人は必ず死ぬ。そんな当たり前のことを、普段はまるで人事のように忘れている。
しかし、どうあがいても、いつか人は必ず死ぬ。
だから、とても短い人生の中で、懸命に自分のやりたいことを見つけて、何をやらなければならない。
何もしないと、きっと後悔するから。。。

 ゆえに、若くして人生が終わってしまうことほど、切ないことはない。
最近報道されている幼児の虐待死や若者の自殺など、いたたまれない気持ちになる。
彼らには、何かをみつける十分な時間すら与えられなかったのだから。。。。

『ラブリーボーン』は14歳で変質者に殺された少女の目を通して、残された家族や、短い自分の人生を見つめなおす物語だ。
主人公の少女スージーは、初恋の相手との初めてのデートの前日に、狡猾な変質者にレイプされて殺される。
スージーは自分が死んだことを自覚できずに、この世と天国の狭間のとても美しい世界から、こちらの世界をみつめている。

若い頃は、死後の世界とか、永遠とか、宇宙とか自分の考えが及ばない事について考えを巡らせたものだが、特定の宗教は特に信じていないオイラでも、こんな天国みたい美しい世界があればいいなあと思いながら映画を観た。

この映画は、変質者に殺された少女の物語でありながらファンタジーという、今まであまりない種類の映画だと思うが、テーマを絞りきれていなのか、残された家族の描かれ方とか脚本が弱いところがあるように思う。
 特にスーザン・サランドの様な大物女優を使いながら、彼女がただのファンキーなバアさんで終わっていて、ストーリー上なにも機能していないキャラクターになってしまっているのが、非常に残念だった。
 原作でそのような設定だったのかもしれないが、残された家族の傷をいたわるような重要なキャラクターだったような気がするが。。。

この映画は、残された家族によって、犯人が追いつめられるくだりはあるが、犯人が捕まるかがテーマではない。
若くして命を奪われた少女の魂の浄化がテーマである。  

Posted by アイスH at 17:45映画レビュー

2010年03月07日

『 インビクタス/負けざる者たち』レビュー

『 インビクタス/負けざる者たち』
製作年 2009( アメリカ)134分
カテゴリー:ドラマ
監督:クリント・イーストウッド
キャスト:モーガン・フリーマン、マット・デイモン
レビュー(☆☆☆☆☆)

大げさかもしれないが、クリント・イーストウッドは、アメリカ映画界の最後の良心だとオイラは思う。
 少なくとも、硫黄島の死闘を日米双方の視点で描いた『父親達の星条旗』『硫黄島からの手紙』のような大作の2部作の企画を通せる監督なんて、クリント・イーストウッド以外いない。

 映画なんて所詮、娯楽にしか過ぎないが、ただのエンターテイメントでも、ただのビジネスでもない、映画でしか出来ない”武器(パワー)”を持っているし、映画はその”武器”を使って、真実を伝える義務を持っている。
 クリント・イーストウッドはそれを知っているし、実際に 『父親達の星条旗』と『硫黄島からの手紙』で、歴史書や小説では決して出来ない、時間と空間を自由に切り取り、目の前に提示出来る”映画の武器”を使って、異なる2つの視点で同じ状況下の戦争を描く事により、あの戦争はどういうことだったのか?を我々の目の前に提示した。
 もし、映画がただの娯楽でしかないなら、わざわざ2部作を作る必要なんてない。
彼は、映画が持つ義務を知っているからこそ、戦争の真実を別々の視点で描く必要があったと思う。

『 インビクタス/負けざる者たち』もそういう種類の映画だと思う。
南アフリカでは、80年代の終わりまでアパルトヘイト政策で白人が黒人を一定の地域に隔離をしていた。マンデラ大統領は、28年間投獄された後に解放され、選挙で大統領に選ばれた、南アフリカの初の黒人大統領だ。
 彼が大統領に選ばれた時、今まで国を支配していた白人たちも、虐げられて来た黒人たちも、それぞれ自分たちに訪れた大きな変化に、不安と誤解とわだかまりを抱いていた。マンデラ大統領は、理性的に、そして物静かに、変化を受け入れることを、まず周りの人々に啓蒙していく。
 最初は小さな変化がやがて、ラグビーのW杯決勝戦へと大きなうねりになって行く様は、映画でしか描けないものだと思う。

 ラグビーの試合はこの映画の見せ場盛り上がるのだが、ほとんどのシーンは抑えた演出で、わざとらしく過剰なシーンが一切ないのが非常にいい!
 特に、大統領が マット・デイモン 扮するラグビーチームのキャプテンのピナールを招待して会談するシーンは、大統領がキャプテンに熱いメッセージでも贈るのかと思って観ていたら、ただ、詩を読むだけの拍子抜けするほど静かなシーンだった。

 最初はピナール自身もなぜ自分が大統領に呼ばれたのかも解らなかったが、大統領が投獄されていた時の心の支えだった詩は、やがてゆっくりと彼の魂に共鳴する。
 
 試合のシーンは、それまでの演出とは打って変わって、エキサイティングな展開で胸が熱くなる。
ウーン( ̄^ ̄)クリント・イーストウッドさすがだぜ!!と思わず唸ってしまう。

この映画は、間違いなく傑作である。

 ラグビーの試合の臨場感は、劇場でしか体感できないと思うface15
劇場でみるべしicon22  

Posted by アイスH at 20:12☆☆☆☆☆レビュー

2010年03月05日

『フローズン・リバー』レビュー

『フローズン・リバー』
製作年 2008( アメリカ)97分
カテゴリー:ドラマ
監督:コートニー・ハント
キャスト:メリッサ・レオ、ミスティ・アップハム、チャーリー・マクダーモット、マーク・ブーン・ジュニア、マイケル・オキーフ

レビュー(☆☆☆☆☆)

2008年度サンダンス映画祭のグランプリを受賞し、クエンティン・タランティーノが絶賛した『フローズン・リバー』をシネマライズで観た。
この映画は、無名の監督のコートニー・ハントの長編デビュー作で、キャストも有名な役者は出演していないためか、日本では配給会社が付かず、公開が危ぶまれていたため、シネマライズが買い付けて公開されたらしい。
 確かに、ストーリーも地味で、宣伝材料になるのはサンダンス映画祭のグランプリくらい映画だが、テレビ局製作の、毒にも薬にもならない映画を観て大切な人生の時間を無駄にするくらいなら、この映画を見ろ!!と言いたい。
 とは言っても、暇つぶしの人生を歩んでいるような奴らには、何も響かないだろうが、人生の何かと戦っている人間には、何かしら”ガツンicon09”とくる映画だと思う。
 人生は戦いだとオイラは思う。生きている間は、何か”と戦い続けなければならない。
その何かは、不安だったり、貧困だったり、自分の弱さだったり、人それぞれ違うだろうが、時には打ちのめされたり絶望したりしながらも、それでも、戦い続けなければならない。この映画は、そういう種類の映画だ。

 ストーリーは、カナダとの国境に面した、先住民「モホーク族」の保留地を抱える田舎町に住む、5歳と15歳の男の子の母親の白人女性レイ(メリッサ・レオ)は、新しいトレーラハウスを買うために金を貯めていたが、ギャンブル狂いの夫は、そのお金を持って蒸発する。1ドルショップで働く彼女は、子どもたち食べさせる食費にも事欠くほど(朝食がポップコーン)、切羽詰っている日々を過ごしている。

 ある日、彼女は蒸発した夫の車を乗っていた、モホーク族の女ライラ(ミスティ・アップハム)と知り合う。彼女もまた、経済的な理由から義理の母に1歳の息子を奪われてしまったいた。ふたりは、儲けを山分けすることを条件に、凍りついた川を渡り国境を越えて「不法移民を運ぶ」という危険なアルバイトですることになる。

 映画の中盤にある奇跡が起こる。
その奇跡は、犯罪に手を染めながらも、人として、そして母親としての尊厳から、自らのリスクを顧みず もたらされた奇跡だ。

 この二人の主人公レイとライラは、決して自分たちの現状を愚痴ったりしないで、ただ黙々と行動する。そこがこの映画の素晴らしいところだ。

脚本家が頭の中で創作したような、陳腐で勿体ぶったセリフなんか一切出てこない。

 この映画を、いつも無駄な会話のシークエンスだらけの映画を作るタランティーノが絶賛してるのも面白いが、タランティーノは本当に映画の本質を見抜く本物の目を持っているクリエーターだと思うし、この映画を配給したシネマライズは偉い!!icon14と思う。

それに比べて、こんないい映画を配給しない金儲けしか興味のない腰抜け配給会社には、心底ガッガリだぜface07
映画はただの娯楽でビジネスだけど、文化・芸術でもあるんだぜface09
 マンガ原作でテレビ会社制作の”おこちゃま”映画ばかり作っていると、いつか日本の映画文化は取り返しがつかないほど、幼稚なものになっちまうぜ!(余談ですが。。)

 とにかく、この映画は地味だけど、貧困から犯罪に手を染めながらも、ほんの小さな希望を見出そうともがく二人の姿に、打ちのめされるはずだ。

 自分の窮地を嘆いているだけでは、何も起こらないし、誰も手を差し伸べてはくれない。
自分の人生は、自分でつかみ取るしかないのだ。
人生は厳しいが、戦う価値がある。そう思わされる映画だ。



   

Posted by アイスH at 17:51Comments(1)☆☆☆☆☆レビュー